はじめまして。
Chieya(ちえ屋)を運営している「ちえさん」です。
私は、
- パワーストーンサイキックリーダー
- パワーストーンヒーラー
- アカシックリーダー
として、皆様が自分らしく輝いて生きるお手伝いをしています。
(ライトワーカー/世の中に明かりを届ける人)
Chieyaのサービスは、目に見えないものを取り扱っているわけですが、
「目に見えない世界」は、肉眼で見えていなくても確かにそこに存在しています。
私は人生のピンチを迎えるたびに、いつも不思議な『見えないチカラ』に助けられてきました。
もうダメか?と思うような究極のビンチの時でも、なぜか救ってくれる不思議なチカラ。
その実体験が、このお仕事(魂の使命)に連れてきてくれました。
私の人生をざっくり振り返ると、
0歳
2階の窓から落ちて即死のはずが、ほぼ無傷で助かる
(→目に見えない謎のチカラに助けられた?)
幼児期
異次元存在と共存を始める
小学生
とつぜん見知らぬ異次元に放り出されて迷子になる
霊媒体質の母の血筋か「霊がいるのがあたりまえ」な生活
中学生
霊感があるせいで学校生活が辛くなる
精神病になるのが怖くてサードアイを閉じて、それ以後は普通の女の子になる
高校生
「霊の見えない」平穏な高校時代をおくる
20代
左脳がすべての医療の仕事で奮闘する
「努力と根性」の昭和世代
スピ要素ゼロの現実世界にドップリまみれて過ごす
30代
親の介護で「人生のどん底期」が到来。おさき真っ暗。
人生の岐路を「霊媒師」のアドバイスで乗り切る。
「見えない世界」があることを再び思い出す
40代
引きつづき親の介護。
自分も病気でボロボロになる(ガン、全身麻酔手術3回)
そこから奇跡的に復活する
50代
親介護が終わる
大病から生き延びた命なので「人の役にたつ仕事をしよう」と起業するも、コロナで低迷。
フラフラになったところで神社に呼ばれる
神秘体験をへて、スピリチャルリーダー&ヒーラーの道へ(←イマココ)
ざっくり振り返っても「なんで私がこんな目に?」レベルの波瀾万丈な人生です。
ですが、人生の荒波の数々を乗り越えた先に起きた神秘体験がきっかけで、このお仕事に導かれたのですから、全てはここに行き着くための伏線だったのでしょう。
0歳で即死だったかもしれない私が、この年まで生き延びるにはなにかしらの意味があるはず。
そんな私だからこそ「目に見えない世界を、ポジティブに味方につける」大切さが身に沁みてわかるのです。
そしては、『スピリチュアルを取り入れて、人生はもっと楽になる!』をテーマに、皆様に必要なメッセージやエネルギーをお届けしています。
「ここに来てくださる方が皆、少しでも癒されますように」
あなたに会える日を、楽しみにしています。
Chieyaヒーリング/ちえさん
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幼少期からサイキック体質だった私
生後8ヶ月で2階の窓から地面に落下!6メートル先で発見された不思議
長崎の離島で生まれた私は、生後8ヶ月頃の新月の夜、自宅の2階から外へ落下しました。
母が目を離したすきに、赤ん坊の私は猛スピードで窓に向かってハイハイして、そのまま真っ暗な夜空に消えていったそうです。
落ちていく赤ん坊の後ろ姿を目撃した母は、相当なショックだったでしょうね・・・。
そして、落ちた場所からに泣き声がすることもなく「シーン」と静まり返った夜の静寂。
母は「即死した・・・」と思ったのだとか。
謎なのはここからです。
慌てふためいた両親が大急ぎで外にでて落下付近を探しますが、私の姿は見当たらず。
ようやく発見したのは6〜7メートル離れた田んぼの中でした。
真っ暗な闇夜を懐中電灯で照らすと、水をはった田んぼの中に、赤ん坊の私が「ちょこん」と座っていたそうです。
普通に落下したら庭先のコンクリートに激突だったはずなのに、敷地の塀を飛び越え、さらにその向こうの田んぼに落ちていたのですから、不思議ですよね。
距離がありすぎです(笑)
母が抱き上げると、私はやっと泣き出して、口から血をペッと吐いたそうです。
この時も母は「内臓がやられているのかも。これはやばい」と思ったのだとか。
病院で診てもらったところ、血を吐いたのは口の中が少し切れていたせいで、それ以外は、骨折もなく無事でした。
2階から落ちたのに目立った外傷もなし。
そして、どういうわけか、ずいぶん離れた柔らかな水田で発見されるという不思議。
あのとき命を救ってくれたのは、私を守ってくれるガイド(=守護霊)だったのでしょうか。
余談ですが、あの日、一本の物干し竿が軒下に置いてあったそうで、その竿にバウンドして遠くに跳ね飛ばされたのでは?という説もあります。
真実はいまだに不明ですが、こうして生き延びられた奇跡に感謝です。
実はサイキックだった幼少期
謎のフォースに命を救われた私ですが、幼少期はとにかく病弱な子供でした。
小児喘息で、アレルギーで、痩せっぽちで食が細く、しょっちゅう高熱をだして寝込んでいる。
少しの煙で喘息発作をおこすので、夏に庭先で花火もできず、窓ガラス越しでみていました。
今にして思えば、物理的な肉体が地球に馴染めていなかったのかもしれません。
見えないものが見える
少し成長すると、自分が普通に見たり感じたりしているものは、「他の人には見えていない」ということに気が付きます。
- 眠りにつくときは必ずグルグルと回る渦の中に吸い込まれていく
(時にはその渦をグルグル回す役目をしている)
- 池のそばに立つと、浦島太郎みたいな人や巨大な亀が空中を泳ぎ回る
- 空っぽの水槽なのに魚が泳ぎ回る
幼い私は、日常的に不思議な世界に包まれていました。
突然、見知らぬ異空間に降り立つ恐怖
そんな不思議な世界と共存していた私ですが、とりわけ困ったのは、突如として異空間に降り立ってしまうことです。
道に迷うというレベルではなく、いま自分がいる空間ごと「ゴロン」と異空間に切り替わってしまう感じ。
知らない時代の知らない街に突然とり残されるのですから、小さな子供としては恐怖ですよね。
「ここどこ?おうちに帰れない・・・」と。
そのトラウマからか、私は今でも極度の方向音痴です(笑)
そんな風に、いろんな不思議に遭遇する毎日でしたが、なぜか、
「自分が見ているものを、他人に言ってはいけない。」
誰からも教えらていないのに、なぜかそう悟っていました。
10代で自らサイキック能力を閉じた理由
母が霊媒体質だった!
そんな私のサイキックは、どうやら母方からきているようです。
私の母は根っからの霊媒体質で、さまざまな霊に頼られ憑依されていました。
時にはご先祖様だったり、蛇や動物だったり・・・。
母は、憑依されて体調が悪くなるたびに村の霊媒師さんのところへ行ってお祓いしてもらいます。
幼い私も一緒に連れて行かれるわけですが、
線香を上げ、謎の呪文を唱え、憑依しているものの正体をあばき、お祓いの対処法を伝授する霊媒師さんを、子供の私は日常の出来事として眺めていました。
ニョロニョロと蛇になってしまう母の様子をみて「うわぁ、ほんとうに蛇が取り憑いててお母さんかわいそう」と思う一方、
霊媒師さんの存在は冷静に受け入れる。
まぁまぁ特殊な環境ですよね。
そんな環境で育ったせいか「目に見えない存在は人間と共存している」というのは、私の「あたりまえ」でした。
とはいえ、子供の私の心には、しだいに霊に対するネガティブなイメージが強化されていきました。
母はなにも悪くないのに(いや、むしろ善人)、霊に憑依されて具合が悪くなり、除霊のために貧しい財布からお金を支払う。
なんでこんな目に遭わなくてはいけないの?と思いますよね。
中学生でサイキック力が増してしまい・・・
中学生になった私は、さらに霊感や直感が強まってサイキック力が増していきました。
家の玄関には、知らないおじさんが3人座っていて(もちろん霊です)、2階の自分の部屋にもおじさんがいる。
(なぜかおじさんばかり 笑)
おじさん達はとくに悪さをするわけでもなく「ただそこにいる」だけなのですが、多感な中学生女子がおじさんと同部屋はキツいですよね。
かといって、邪険に追い払う勇気もなく・・・。
そんな私がとった行動は、「自分の意識で作った白い大きなバルーンの中で過ごす」でした。
ですが、
そんな小手先の対処法ですむはずもなく、だんだんと困ったことが増えていきます。
このままでは普通の生活ができない
中学時代は、朝礼で倒れることが多かったです。
全員で校歌を歌うとそれがトリガーになって体育館が、古代の風景に一変します。
一面が葦原になって、遠くを見渡すと丘の上にはヤマトタケルみたいな人がいて・・・。
それを眺めているうちに、私はす〜っと気を失ってしまう。
授業中も大変です。
少し先の未来が見えてしまうせいで、先生に当てられても、今起こっていることなのか、未来の出来事なのか、リアル現実との判別がつかなくてどう返答してよいのかわからない。
「〇〇ちゃんが答えを間違って、それに対してみんなで笑う」
先取りしてイメージが見えてしまい、それが頻繁に起こるので、なにがなんだか収集がつかないわけです。
精神安定剤が処方されて・・・
そんな日々を過ごすうちに、学校から「病院受診してください」といわれる羽目に。
「見えないものが見える」件はヒミツにしていたのですが、頻繁に倒れるので「何かオカシイ」と思われたのでしょうね。
そして病院で検査をうけたら、なんと精神安定剤が処方されてしまいました・・・。
中学生の私は、「このままでは、普通の人生を送れないな・・・」と、安定剤をじっと見つめて真剣に悩みました。
私はこのまま精神病になってしまうのだろうか・・・?
そんな未来を想像すると、もう、恐怖でしかありませんでた。
そして、「サイキック能力を閉じる!」決意したのです。
自らサイキック能力を閉じた?
決意したら、即実行です。
カメラのレンズを絞るイメージで、とにかくギューっと閉じるのです。
意識を全集中して「ぎゅ〜っ」と。
もう全力でやりました。
サイキックを手放すとどうなるのか?の不安よりも、普通の人生を歩めない恐怖のほうが上回っていました。
そして、気がつくと、いつのまにか「見えなく」なっていったのです。
インターネットのない時代。
「どうやれば見えなくなるのか?」誰にも相談するわけでもなく実行できたのは不思議ですね。
きっと私のスピリチュアルガイドさんが教えてくれていたのかもしれません。
こうして、私は、「普通の明るい女子中学生」になることができたのです。
ピンチの時に助かる奇跡
サイキックとサヨナラしてからの私は、本当にごく普通の女の子になりました。
そうして、高校を卒業し、東京の学校に進学するわけですが、サイキックを閉じたせいで「見えなく」なったとはいえ、直感は残っていました。
その不思議な直感やガイドさんに助けられたエピソードや、摩訶不思議なエピソードはその後の人生にもいくつもあります。
例えば、
- ペルーの遺跡を見たら視力が突然良くなった
(視力が0.2から1.5になった)
- 旅行に行っていたおかげで地下鉄サリン事件に巻き込まれなかった
- 大病から奇跡的な回復をする
謎ですよね。
中学生でサイキックを閉じて以来「その扉は2度と開けない」と固く誓った私ですが、見えない力に助けられていることはずっと感じていました。
親介護の30代は人生どん底だった
リアル現実では、30代は真っ暗闇のどん底でした。
私が30歳の時に母が認知症になってしまい、東京の仕事を抱えながら九州に通う遠距離介護の日々です。
介護のために、時間もお金も自分の人生も消費し尽くし、空っぽで抜け殻の日々。
介護はいつ終わるのかわからない。結婚もできない。
もう、なんのために生きているのかわからない。
でも、弱音を吐けない。私が頑張らなくちゃいけない。人生真っ暗闇です。
そんな時、力を貸してくれたのはいつも「目に見えない力」であり、それを言葉で伝えてくれる霊能者だったのです。
自分では「霊の扉は開けない」けど、霊能者の口を借りるのならオッケーと思っていたわけですね。
また、その当時にベストセラーだった「神との対話」という本を読んで、人生でおこることは単に「経験」なんだ、と思えたことも救いになりました。
振り返れば、「目に見えない力」のおかげで、どんな暗闇にいても一筋の光を信じて来れたと思います。
ともあれ、30代はどん底すぎました。
※私は神社巡りは好きですが特定の宗教があるわけではありません。ご心配なくm(_ _)m
時を経てサイキックリーダー&ヒーラーになるまで
50代、起業したらコロナがやってきた!
時間はいっきに飛びますが、紆余曲折の30代40代を経て、50代になった私は、ようやく介護から解放されました。
そして、自由になった時間を利用して遠距離介護サポートの仕事を個人起業しました。
自分が介護で苦労したので、その経験を活かしたいと思ったのです。
そこにやってきたのが、コロナ禍です。
仕事がやっと起動に乗りかけて、さぁこれからという時にです。
家族でもない私が高齢者と接触することに制約が増え、事業を自粛していきました。
そんな中でも、続けていたのがオンラインの介護相談です。
相談者の悩みは様々なのですが、悩みの根本は介護方法やノウハウではなく、もっと深い家族関係であることが殆どです。
相談者の心はノウハウでは癒されませんが、ハートに降りてきた言葉でなら相談者を笑顔にすることができるんだな、と実感していきました。
うっすらと、自分のやるべき道を感じていました。
ネットの副業をやってみたら・・・
一方で、コロナ禍でストップした仕事の穴を埋めるように始めたのがネットの副業でした。
挑戦してみると思ったよりスラスラ稼げるようになりました。
ゲーム感覚で成果もでるし、すぐに収益になる。
だんだんのめり込んでいきました。
右肩骨折で強制終了
ネットの副業にのめり込んでいたある日、私は右肩を骨折して突然右手が使えなくなりました。
パソコンのキーボードが打てなくなり、ネット副業どころではありません。
今にして思えば「見えない力」が働いて強制終了された感じです。
その後、運営していたサイトもアップデートで圏外へ飛ばされ、収益がゼロになるというショッキングな事態に。
一気に気力が萎えました。
それでも「骨折が治ったら再開しよう」と、ぼーっと考えていた時に、さらなる悲劇がやってきました。
なんと、幼少期から当たり前のように使っていた「直感」の電波がゼロになってしまったのです!
「直感」を失い茫然とする
「直感」を失うというのは、私にとっては、人生をゆるがす一大事でした。
例えるなら、スマホの電波が全て繋がらなくなる感じでです。
なにも頼るものがない一面の砂漠の中にポツンと取り残されたような気持ちになりました。
静寂と絶望・・・。
直感がゼロになってわかったのですが、私は自分が思っている以上に日常的に直感を使い直感と対話していたんですね。
直感なしで、私はいったいこれからどうやって生きていけばいいんだろう?
今さらスマホがない生活に戻れないように、直感のない生活なんて想像もつきません。
しだいに、物理的な肉体の生命エネルギーも消耗していきました。
思考力も体力も低下して、もはや「プチ鬱状態」です。
戸隠神社に呼ばれる
そんな時、私のココロに、なにかが語りかけてきました。
「戸隠神社にいって水を飲めば元気になる」というのです。
日に日にその思考が強まっていき、「今すぐ行かなくちゃ!」になり、気がつけば旅の支度を始めていました。
ただわかっているのは、
- 戸隠のご神域に最低でも3日間は滞在する
- 浸るようにご神気を浴びる
- ご神域の水を飲む
- 今すぐに行く
それだけです。
宿のあてもないまま、出発日だけはきめました。
そして、どういうわけか、アロママッサージの予約をとったのです。笑
気力も体力も落ち切っていたので、出発前に底上げしなくちゃと思ったんですね。
そしたら、そのアロマセラピストの方がその戸隠神社にご縁が深い方で、宿泊する宿も全て紹介してくれました。
なんという偶然(=お導き)
結果、戸隠滞在ですっかり元気になり、直感も無事に戻り、全ての邪気が払われて青空のような清々しい気持ちになりました。
旅行中に知ったのですが、私が戸隠にいた日はドラゴンズゲートが開いているタイミングだったようです。
たくさんの神秘体験もありました。
まさに、戸隠神社への旅で人生の流れがゴロっとかわりました。
私のやるべきことは、ネット副業ではなく、サイキック能力を使って世の中の役に立つことだったようです。
改めてスピリチュアルを学ぶ
戸隠から帰ってきた私は、改めてスピリチュアルを学ぶことにしました。
中学生の時に自分の手でビシッと閉じた世界です。
今では50代の大人になり、良くも悪くもさまざまな経験を積み、波瀾万丈に揉まれてたくましくなりました。
中学生の時は、自分ではコントロールできないサイキック力が怖かった。
でも今は、違います。
自分の人生のハンドルを握ることができるし、どうやら、私には何かのお役目があるらしい。
「スピリチュアルなお仕事をしていく」と心に決めて、その出会いの瞬間を待っていました。
とはいえ、一度かたく閉じたサードアイを開くのは、予想以上に大変でした。
「直感」や「知る」という感覚は使えるのですが、サードアイは退化傾向・・・。
どうやれば復活するのかな?と思っているところに、パワーストーンがやってきました。
パワーストーンサイキックリーディングとの出会い
そこで出会ったのが、パワーストーンサイキックリーディングです。
石(ストーン)が届いた日の衝撃は、今でも忘れません。
石が生きている!石が息をしている!石が語りかける!
石が周波数を調整してくれるので、すんなりとサイキックチャンネルにチューニングできるのです!
しかも、石はポジティブ波動100%で、ネガティブエネルギーを寄せ付けません。
中学生の頃の私が恐れていたネガティブ霊の心配も不要です。
パワーストーンに出会えたおかげで、サードアイも復活しました。
サイキックリーディングに全力で向きあう
サイキックリーディングは、自分の「直感」ではなく、相手のスピリチュアルガイド(=守護霊)に繋がる手法です。
この二つは、似ているようでいて、実は全く違います。
私はこれまでの自己流をやめて、イチから学び直しました。
自分の「直感」を使う手法だと自身の思考が混じりこむ危険がありますが、サイキックリーディングならその心配がありません。
クライアントのガイドからのメッセージを100%ピュアにお届けできるんですね。
サイキックリーディングとの出逢いは衝撃でした。
パワーストーンサイキックリーダー&ヒーラーとしての使命
パワーストーンサイキックリーダー&ヒーラーになった今、心に強く思うことがあります。
それは「出会った人の人生を幸せにすること」
0歳で即死だったかもしれない私が、この年まで生き延びるにはなにかしらの意味があります。
サイキックであるがゆえに未来が怖かった私が、その力を誰かの幸せな未来のために使うことができる。
人生は本当に不思議ですね。
どんな人の人生も、その人だけの素晴らしい可能性を秘めています。
今も未来も、その人の人生がもっと楽に輝けるように、全力でお手伝いしたい。
それが、パワーストーンサイキックリーダー&ヒーラーとしての私の使命です。
あなたに会える日を、楽しみにしています。
Chieyaヒーリング/ちえさん